グッバイ!清志郎!



葬儀式も終わり、公式行事も終わったか?と思っていたら
昨夜と今夜のNHKの特集には、さすがに泣かされた。
やっぱ映像見ちゃうとダメだ。
「俺ってこんな涙もろかったっけ?」
「よくもまあ、こんなに涙出るな?」


9日の青山は、直前まで迷った挙句やっぱり行かなかった。
理由は正直、自分でも上手く説明できない。
ただ、どっかの泉谷さん!のように
「死を認めない」からでは決してない。
清志郎はもういない!ことだけは充分理解できている。
ただ単にシャイで気真面目、そして優しい本来の清志郎が、
あんな晴れやかな場所に留まっているとは、ちょっと思えなかったし、
集団ないわゆる“ハレ”そして“お祭り”的な偲び方が
ワタシ的に、どーにも性に合わない気がしたから。


身内ではない人の死にこれほどの衝撃を受けたのは、
1980/12/08 John Lennon の死、以来である。
当時の僕は中学1年、ちょうど洋楽に目覚め始めた時期で、
ビートルズにハマり始め、レコードを聴きまくっていた。
そしてジョンが子育て休養から復帰、名作「ダブル・ファンタージー」発表と
これから本格的な再始動?と思われた矢先、凶弾に倒れたわけだが、
当然、子供な僕はその当時ジョン・レノンという、人となりなんぞ全く知らず、
何よりショックだったのが


「これで、2度とビートルズを見ることが出来なくなった!」


こーして僕の中で、ビートルズは伝説となったのである。
何より同時代に生きられなかった悔しさ・・・
「一度生で見て見たかった!」その思いは今でも強い。


その後しばらくしてRCと出会い、当然のようにのめり込んでいくのだが*1
今回の清志郎の死と、ジョンの死で決定的に違うのは、
「もう2度とRCを見れなくなった」とは毛頭思わなかったことである。
いい意味でも、悪い意味でも清志郎の存在=RCサクセションであるにも関わらず…
何だそうか!単に“忌野清志郎”という人が大好きなだけだったんだ。
と改めて思い知らされた。そしてジョンとは決定的に違うコト、
それは同時代を生きられた!という思いである。
多感な10代、20代前半の私にとって、うれしい時、楽しい時、辛い時、悩んだ時、
頭のどこかにはいつも♪雨上がり〜や、♪トランジスタ・ラジオ、♪スロー・バラードなど
清志郎の甲高い歌声が流れていたのだから。
ホントにありがとう、清志郎!いろんなコト教えてくれて。
おかげで、ちょっとはマシな大人になれたのかな?



最後に正直に懺悔します。
個人的に、音楽に政治的な主義主張が入るコトが大の苦手な僕的には、
COVERSや、TIMERS、そして君が代等でもめたソロ作など
どーしても好きになれず、そんな流れもあって、
メンフィス、23's以降のソロ作をほとんど聴いていませんでした。
それでもソロのLIVEも数回見ているんですが、
それこそRC以外はほぼ知らない曲なんで困りましたが(苦笑)
今、改めてソロワークスを追ってるんですが、
改めて全然いいじゃないですか!
特にKING、GOD,そして夢助とこの3部作の仕上がりにはビックリ!
何で当時聴かなかったんだろうね?と後悔しきりです。
本当にごめんなさい。
ただ、亡くなってもなお、新たな発見ができる!
これも神の思し召しか?と素直に感謝するぜ!(笑)


よし!かなりな長文になってしまったが、
これで思いの丈は粗方吐き出すことができたんで、
もう、すっぱり気分を切り替えていくぜ。


グッバイ清志郎! そしてサンキュー清志郎
いつかまたきっと会えるよね。


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*1:その経緯は長くなるので割愛する