アラファト議長が死去


パレスチナ自治政府のエレカト交渉相は11日朝、パリ郊外のペルシー軍病院に入院していたパレスチナ解放機構(PLO)議長のヤセル・アラファト氏(75)が同日死去したと述べた。同病院のエストリポー報道官によれば、死亡時刻はフランス時間同日午前3時半。死因は明らかにされていない。
 アラファト氏は1969年にPLO議長に就任して対イスラエル武装闘争を指揮したが、93年に同国との相互承認に踏みきり94年に自治をスタートさせるなど、パレスチナ民族解放運動を体現。一方、2000年秋に始まったインティファーダ(反イスラエル闘争)を放置し、イスラエルや米国から和平プロセスを崩壊させた張本人と非難されるなど、波乱の生涯を送った。議長に代わってパレスチナ民衆をまとめきれる後継者は見あたらず、当面、パレスチナ情勢が流動化する恐れもある。
YOMIURI ON-LINEより

民族解放指導者として、中国の毛沢東ベトナムホー・チ・ミン南アフリカネルソン・マンデラ
そして黒人解放のキング牧師などとと並び賞される事になるであろう、アラファト氏。
しかし惜しむべきは彼の生涯の30年以上を、まさに血で血を洗う暴力の連鎖の中で闘ってきたのに、
結局根本的な解決の糸口にすらたどり着けなかったことであろう。
ここにこのパレスチナ問題の複雑さがある。改めて合掌・・・