人を見たら・・・



現場で仕事をしていた朝10時頃・・・
隣のアパートに一台のバンが止まり、そこから二人のアラブ系(イラン人か?)の屈強な男2人が出てきて
車からエアコン、冷蔵庫などの大型家電を次々と降ろし始めた。


その時「なんだ、外国人窃盗団か?」
しかし、荷物の中には、洋服や生活用品などもあり、
「なんだよ、普通に引越しじゃん!」と理解するのと共に、改めて自分の胸のうちに潜んでいる
「無意識な、外国人に対する偏見、差別」に気付かされ冷や汗を掻く思いだった。


「人を見たら泥棒と思え!」なんて普段から全くそんなこと考えてないし
(どっちかと言うと他人に興味ない方だし・・・)
大体、その家電だってどーみても使い込まれた代物だし、それに泥棒がこんな時間に堂々と
荷を運んでるか!っちゅうの?普通に引越しだよなぁ。どー考えてみても・・・
それに、彼らが近所の人と話してるの聞こえたんだけど、えっ?彼らイランじゃなく、ペルー人だって!(驚き)


「ごめんなさい、泥棒って思い込んで、&イラン人と間違えて。・・・許してね、ペルーの人(__)」
と胸の中でお詫びしときました。


しかし、自分自身「偏見、差別なんてありえない!」と思い込んでいただけに
この“無意識という意識”には驚きを超えちょっとショックでした。
ただ、これは私個人だの問題なのだろうか?
不幸な事か(本人自身は決して不幸とは思っていないが)いい歳してまだ、海外に行った事ないし、
そして回りにも外人と言う存在は見当たらない!
そんな環境の中で、NEWSなどの頭で得る情報のみで、
肌で知る情報が不足している私個人が陥った誤りなのだろうか?


私の世代(30代半ば)では学校で「差別、偏見はよくない!」という事を教わった。
それは裏返せば、当時「差別、偏見は確実に存在する。」という事を意味するわけで、
多分、外国人(主に在日朝鮮、韓国人)及び部落出身者に対するいわれのない差別、偏見が
その当時私以上の世代の人には、確かに存在していたと言える。
「あそこの家は朝鮮だ」とか「この苗字は部落の人が多い」なんて実しやかに聞こえてきたし、
事実として、高校時代には韓国籍の友人もいて、彼は決して言葉にはしなかったが
いろいろ辛い目にもあってきたらしいし…


このアジア蔑視(西洋重視)という問題は、明治維新以降我が国がとってきた根本的な政策であり
それが昭和初期〜太平洋戦争をピークに達する、という長い歴史が培った観念であって、
それが終戦の開放政策によって、「民主主義です。世界人類みな仲良く!」と急な方向転換による
意識の歪みがこの“差別”という最も恥ずべき行為となって具現化しているのではないか?


ましてや日本はアジア諸国に対し、「国家としての謝罪」もきちんと済ませていないから
彼らに対し表立ってのあからさまな攻撃はしないが(それでも平気で言う人も多いが(苦笑))
その分意識レベルでアメリカやヨーロッパ諸国と比較して、ランクダウンさせているのではないか?
今だ持って、“靖国&教科書問題”が中国や韓国のメディアを賑わすが、
日本人がそんな意識でいる限り、何を言われてもしょうがない!とすら思うし、
このアジア蔑視という意識を拭い捨てない限り絶対解決しないのではないか?とすら思う。


話が、二転しているが(苦笑)今日本で起きている“韓国ブーム”(私自身は全く興味ないのだが)を
とってもいいことだと思うし、この個人レベル及び日本→韓国への一方通行のラブコールではあるが
この友好関係が、国家レベルに発展する導火線になれば!と願うのみである。
それが少なくとも「韓国の人達に対する謝罪」になると信じてるからである。


ただね、「ヨン様ヨン様!」と騒いでるオバサマ、おねー様方!!その一方で
「身近にいる在日の方を意識の中で遠ざけてはいませんか?」
ちょい前の仲間由紀恵のドラマを見る限り、そこがちょっと心配ですが・・・まあ杞憂ならいいのですけど。