The Queen Is Dead/THE SMITHS



Queen Is Dead

Queen Is Dead



いまさらスミス?とは思うがやはり、80’のUKロックを象徴する一枚であることは間違いなく、今改めて聞きなおしても一向にその輝きは衰えないどころか、この現代の焦燥感に再びマッチングしてきているかのように思える。
解説にある通り、もしロックというものが社会的弱者の解放とその方法ということに根ざしたものだとしたら、スミスは明らかにそこからもあぶれた特定の「社会的弱者」を対象に唄っているのだが、敢えて救済せずに「別にこのままでいいじゃん!」的な発想の転換こそが「弱者」のまま鈍く光り輝くという軌跡を成し遂げた結末であろう。


そして、さらに、大英帝国の象徴である“Queen”は死んだとかつての勢いをなくし、世界から置いてきぼりを食らっているイギリスこそ、我々自身なのだ!とばかりのこの一枚…
まあ、音的にはネオ・アコースティックだが、そのなんとも軽くカマっけの入ったモリッシ−のボーカルが発する言葉こそが重要なのであって、英語圏で生きていない我々にとっては、その上っ面しか捕らえれれないなんともじれったさがあるが、訳詞を見ながら唄を聴くというアタシにとってはなんとも珍しい作業をしなくてはいけないんじゃないか?と思わせてくれる貴重な一枚であり、読み取っていくうちにどん底まで気分を落ち込ませてくれるダウナーであったり、また時には、これじゃいかんわ!もっと這い上がらねば!とポジティブな気分にさせるヤクであったりと、その時々によって印象のがらりと変わる、となんともいろんな側面を持ったアルバムであることが愛される理由であると思う。




蛇足ではあるが、UKロックにはかかせないこのキーワード“Queen
単純に女王陛下という意味合いだけではないこの単語を歌うアーティストの多いことが、功罪両面からイギリス国民と皇室との健全な関係を物語っているような気がする。そしてまあ、どちらかというと否定的な内容の歌詞が多いにも関わらず平気でリリースできる状況に、ロック=アートとして認知している度量の広さを感じられ、同じように皇室を持つ我が国と比較してみると…う〜ん、なんともお寒い状況に(ーー;)
まず、大体においてあの方を題材にした曲なんてまあありえんし、それに国歌といわれるあの曲ですら、結局メジャーでは発売できなかった清志郎事件なんて、あまりに端的で「触らぬ神に崇りなし」「長いものには巻かれろ」とばかりホント日本的で吐き気すらもよおしてしまう。
まあ、別に歌われる事自体に重きをおいているばかりではないが、イギリスと比較するとそこまで生活の中に根ざしていないんだろうね?なんて思っていると、「あの女の子がどーしたこーした」やら、「あの奥さんの病状が〜」などと日々流れてくる報道のずれになんとも妙な感覚に陥る。はっきりいってそんなんことどーでもいいことじゃねーの?