「死刑」拡大の流れ?



5/19付け読売新聞3面に興味深い記事があった。

殺人事件の被害者が1人の場合。被告に極刑を言い渡すかどうかは刑事裁判における難題の一つだが、東京高裁は昨秋以降2件の微妙なケースで“逆転”死刑判決を出した。治安の維持や被害者感情を重んじる流れの中で裁判所が死刑適用に一歩踏み込んだとの見方もあり司法関係者に波紋を広げている。



記事中、実際の件数においても、

●殺人事件で一審判決を受けた被告数 '96 567名→'04 795名(1.4倍)
●死刑判決を受けた被告数     '96 8名→'04 42名(8倍)

とその異常なまでの増加傾向をグラフにて示した上で、その理由を
「裁判官の意識が『迷った時は無期』でなく『死刑』に変ってきた。結果の重大性よりも手段や動機が許せないという素朴な感情が重視されている」安田好弘弁護士

厳罰を求める被害者遺族の活動が活発化した影響で被害者が一人なら従来なら絶対に無期になっていたケースでも死刑判決が出始めた」村上満宏弁護士


と分析し、それは、はからずも私が以前こちらで危惧した点が現実化されてきた訳であり、改めて世界的な死刑廃止の兆候と逆の道を歩き始めたこの国の司法制度の問題点が浮き彫りにされたのである。


で、実際東京高裁で出された死刑判決の2例の内の一つ、静岡三島短大生殺人事件については


その時、殺しの手が動く―引き寄せた災、必然の9事件 (新潮文庫)

その時、殺しの手が動く―引き寄せた災、必然の9事件 (新潮文庫)



にて詳細に記載されているのでそれを読む限り、
確かにこの被告の行なった行為に対しては、私自身一人の普通の人間として怒り、憤りを強く感じる。そしてその感情は、本書の結び「被害者の短大生が味わったであろう地獄のような苦痛と恐怖、その失われた未来を思うと、この殺人事件には人間がつかさどる裁判の量刑では算出しきれない深い罪があるように思えてならない」とあるようにそれは万人に共通で勿論事件を担当する検事や裁判官にもあってしかるべきだ!ということの理解は勿論できる。
さらには、ある日突然、これほど酷い形で身内を失う事となった被害者遺族の痛み悲しみについては、もはや想像しえないものであろう!
そう思う反面、やはり死刑判決に「被害者感情、社会の関心」を反映させ厳罰化していく傾向には私自身どーしても素直に頷けない。て言うか、治安や被害者に対する社会的関心の高まりを隠れ蓑にして、「死刑廃止」論を抹殺しようという意図を感じずにはいられない。
「議論もさせず実力行使!」とばかりの行為にかなりの恐怖感を覚えるのである。
事実この読売新聞の記事についても、肝心な「死刑の是非」については全く触れられていないのが残念で、もう少し突っ込んだ内容であれば良かったと思う。


改めて・・・
死刑に対し、感情論を捨て去り法律面で、合理的に、理性的に生命刑に替わる何かを考えていかねばならないのではないか?