戦時下の闇



ここ数日のヨン様フィーバー、そして北朝鮮拉致問題を受け、改めて考える・・・
いみじくも、下記2冊の本が、過去の日本人の犯した大罪を、
そしてそれらに目を閉ざす現代日本人の問題点を明確に指摘しているので記載した。


奇想、天を動かす (光文社文庫)

奇想、天を動かす (光文社文庫)



「社会派本格ミステリーの傑作」*1
戦時下における、一説に数百万人と言われる「朝鮮人強制連行」というある種のタブーに真正面から切り込み、
その悲劇、悲しみをを敢えて現代日本人の刑事「吉敷」に語らせるところに
著者の明確な意思が現れている。
(さらに本書においては“冤罪”*2という社会的テーマも取り上げている)


MASTERキートン (15) (ビッグコミックス)

MASTERキートン (15) (ビッグコミックス)



CHAPTER:4〜真実の町〜から
かつてあった「欧米人捕虜収容所」を50年ぶりに訊ねた欧米人の男。
しかし町側はその存在をひたすら隠し通すが、主人公キートンの活躍でその所在地を突き止め・・・
そこに咲き誇る桜を見て、かってそこに収容されていた男は涙する・・・


戦犯告発を恐れ、関係書類を焼却した当時の軍部、そして町の発展にとってのマイナスイメージ”として
「すべてなかったこと」として扱う我々現代日本人。
語り継がなければならないことに蓋をして閉じ込めてしまう事は、犯罪以外の何者でもない!!




私が学んだ歴史教科書には、(多分)南京大虐殺については触れられていたが、“朝鮮人強制連行”や
従軍慰安婦”というワードはなかった。(今の教科書はどーなのだろう?)
60年も前の話であり、当時と現代のマスメディアの意味合いの違いや、“世界平和”という概念の確立など
あまりに環境が違うので!といってしまえばそれまでだが、ただ「人間の本質に大差はない」


果して強制連行は良くって、拉致は悪?という理論は成立するのか?


金体制の北朝鮮と、天皇中心、軍部主導の当時の大日本帝国に大差はあるのか?


アウシュビッツの存在を明らかにし謝罪を繰り返してきたドイツと、
すべての関係書類と共に闇に葬った日本、一体どちらが始末に悪いのか?


要はすべてのことを理解した上でないとはじめられないとと、できない事があるのであって、
これら抜きにして例えば、北朝鮮を“不気味な国家”と批判する事は、
天に向かって唾はいて自分に降りかかるのと同じ事だと想うのである。
だって、その当時の日本は、欧米からも、アジア諸国からも、今の北以上に“不気味”だったから・・・
そして、犯した罪の謝罪もしないどころか、一部歴史に強引に蓋して、涼しい顔しているのが我々である。


「過去に目を閉じる者は現在に盲目となる」この言葉を何度も呪文のように繰り返す私。

*1:私的に、宮部みゆき火車」と本書が「社会派ミステリーの双璧の傑作」と考えている

*2:その後著者島田荘司は、最終的にはこの冤罪問題から死刑廃止論者へと行き着く